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生活と制作⑮ 2021年4月

生活 運転免許証の更新を行った。感染症対策の為、講習会場の窓は開け放たれていた。窓際しか座れなかったので凍え死ぬかと思った。 ジョグをする気力がない。運動不足である。(腕立て・10秒休憩・腹筋・10秒休憩・背筋・10秒休憩・バックランジ・10秒休憩)×3というのをやってみる。ぜえぜえいうくらい息切れする。2週続いて1週サボりまた2週続くというような感じである。 制作 特記事項はない。ただ単調な作業の繰り返しのみである。 好きになる物事について 年齢を重ねるにつれて、新しい作品に熱中する機会が減った。悪い意味でカテゴライズしてしまっている。「聞いたことのあるもの」や「よくわからいもの」として受け流してしまう。 ではどんなものなら興味を持つかというと、「初めてだけど、一部は理解できて、一部は理解できないもの」である。そのバランスはその日の体調などにも左右される。「理解できない」要素が多ければたちまち「よくわからないもの」としてスルーしてしまう。 例えば私はアナログシンセの深い沼の世界を知らない。音はアナログシンセで作られたもの、歌はポップという組み合わせは一時期ドハマリした。やがて時は経ち、同じ様式のものを聞いても「聞いたことあるもの」としてスルーしてしまうようになった。 そんな風に「カテゴリ分け」という観点から自分が作品に対して抱く印象を考えてきた。しかし、年齢や経験に関係なく、心身がある程度安心できる状態になければ作品に興味を持つことすらできないのではないかと考えるようになった。作品に興味を持つことができるのは、人間として最低限の健康で文化的な生活ができていてこそである。それ以下の状態ではどんなに素晴らしい作品も興味の対象とならない。次に作品を受け入れることができるようになるのは極限の状態である。食べ物もなく、着るものもない状態でどこからか聞こえてきた歌声に救われた。死ぬつもりだったが絵画に救われた。人生に絶望していたが説話・法話に救われた等、ありきたりな感動物語は誰でも思い描くことができるだろう。極限の状態に置かれることにより再び感覚器官はその機能を取り戻すのである。しかし、「極限の状態以上、最低限の健康で文化的な生活未満」では作品に興味を持つための余力は無い。

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