αステーションさんで「19」がオンエアーされました!

2016/7/27(水)、京都のFM局さんαステーションさんにて僕の歌「19」がオンエアーされました。
αステーションさん、機会をくださった二条nanoのモグラさん、聞いてくださった方々、ありがとうございました。

僕にとってαステーションさんは深夜勉強のお供としてずっと近くにありました。中学、高校、大学と、お勉強の時にずっとコーヒーとともに僕を支えてくれました。

大学受験の追い込み時期、MDラジカセから流れてきた音楽や、DJさんの「受験生のみんな頑張って」の言葉にどれだけ元気をもらったことでしょう。おかげさまで無事受験に成功し、希望の大学に入学でき、一ヶ月¥36,000- 、トイレ・風呂共同の木造アパートに住み始めました。原付きで毎日通った通学路に近代的な建物がありました。そこにはαステーションと書かれていました。

こっここがあの!

と感動したのを覚えております。

そして周りでバンド活動をしている方々からは、今日αステーションで収録だ、今日始めて自分の曲がオンエアーされるという声が聞こえ始めました。それに対して憧れの気持ちを抱きつつも、その憧れに向けた現実的な取り組みができていない自分に悶々としながらモラトリアム期間を消費していっておりました。

今回曲を使って頂き、10年前の京都での生活がふっと目の前に現れ、木造アパートのこたつに首まで入って部屋の電気を消して眠るでもなく目を開けて天井を見ている自分を見ています。
彼はその日受けた現代芸術論の最後の講義を思い出しています。
その講義は第一回から衝撃的でした。大概講義の第一回目というのは単位に必要な出席日数などの説明のオリエンテーションとなっています。そこでその教授はこう言ったのです。
「今回、このオリエンテーションを受けた皆様にC評価を与えます。ですので今ここで出席カードを提出して帰っても、その後一切出席せずともこの教科の単位を与えます」
教室がざわめきました。そしてさっそく出席カード提出し退室していく学生達も。
「あとは、勉強したい人だけきてください」そう言って教授も退室されました。
そして2回目の講義に出席したのは、1回目の講義で70名程いた学生のうち20名程でした。講義内容は中世のヨーロッパ絵画から始まり、写真表現、映画表現等などを経て最後の講義となりました。全ての回が刺激的で時おり挟まれるジョークとともに脳みその奥の方に記録されていきました。どうせ単位はもらえるのだからと、出席者はもっと減り、7、8名くらいになっていました。
そして最後の講義が始まりました。いつも陽気な教授の声が、その日は少し憂いを帯びていました。

彼らは泣きました。

教授と別れるのが寂しいとか、そういったことではありません。現代芸術の根底を流れるものを理解して泣いたのです。


現代社会で生きていくということがひどく困難なように思われ、様々な方向に考えが飛びますが、明日のバイトのことを考え、彼は無理やり目を閉じました。


2006年4月、僕は大学を卒業し、同年同月αステーションさんはそれまでの北山のスタジオからcocon烏丸に移設されました。
その数年後、僕は冬の山の中でこんな歌を作り、2013年に音源化、2016年にラジオ初オンエアーとなりました。それは大学を卒業して京都での生活を終えてから丁度10年目の出来事でした。








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